2010/06/26

古い街

ここに昔
華やかな街があり
歴史の教科書に出てくるような人々が住んでいたという記憶は
それこそ書籍の中と
高層ビルの隙間の裏路地の
もっとも軽薄な色合いの中にしか残っていない

初夏の銀色の太陽と
湿気をはらんで渦巻く大気を
胸に深く吸い込むとき
失われつつある今と直面する

すべての小径の夕闇は昏く

すべての小径の夕闇は昏く
夕陽の残照と
都市の放射するオレンジが混沌となり
夕闇の空が眼前に拡がる

すべての小径の夕闇は昏く
どの小径も
まさしくその小径

だから
君は立ち止まり
一握りの寂しさを感じて空を見上げる

2010/05/27

腰痛

今週は腰を痛めました。

十代の頃から頭痛、肩こり、腰痛もちなわけですが、
今回の痛みはかなり異質でした。眠れないくらい激痛でした。

そんなわけで歯医者と人間ドック以外では久々に病院なるものに行ってきました。
いつものおちですが、特に名誉な病名はもらえませんでした。
骨にも内臓にも異常がないそうです。
きっと書いたプログラムのバグが一時的に腰に転移したんでしょう。そうでしょう。
そう思っておくことにします。

ところで、処方箋とかもらって薬も飲んでいます。
ひとつは鎮痛剤だそうです。もうひとつは筋肉弛緩剤だそうです。最後は胃薬だそうです。

腰の薬がありませんでしたよ?

2010/03/29

光景

桜の花びらが暗闇に舞う寒い春の夜。
心はむしろ光景から離れて行く。

炎が煙に変わる瞬間。
遠くで自動車のブレーキの音。
夜道を急ぐ足音。
空が低い。

空気は冷たいのに、暗闇は熱を増す。
川の水音は無闇に明るいところへと。
鳥たちは飛び立ち。
空はどこまでも透き通っていて、
同じ空にかつていた誰かがいたことを思い出す。

それから、
自動販売機の蛍光灯が鳴いているから。

2010/03/24

目的

研ぎ澄まされた理性は、しばしば狂気に似る


理性というのは、感情よりもずっと狂気に近い部分に位置している。感情は錯乱するが、偏執的ではない。
それに対して理性というのは偏執的な側面を持つ。何故なら、明確な目的意識を持つからだ。

感情は暗闇に恐怖を感じるが、獲物を狙う冷静な眼は、その恐れには怯まずに静かに忍び寄る。

携帯

パートナーの携帯はのぞいて当然な人
パートナーの携帯を含めてのぞいたりはしないひと
自分の携帯はオープンだという人
パートナーの携帯なんてのぞく価値もないという人

いろいろいますね。
それはどうでもいいです。

どうでもいいんですが、奥さんが無断で侵害しているのは旦那さんのプライバシーじゃなくて、私のプライバシーなんだということに気付いてほしい。あほ亭主のプライバシーがどうかなんざ興味ないが、世の中、色恋沙汰だけが秘密だと思ってやがる脳みそがピンク色なツガイが多すぎるっつーの。

あぁ、ついでなのでもう一言。
不倫の証拠の収集のためにプライバシーを侵害しても良い理由はないです。警察なんて野暮な人たちでさえちゃんと令状とってるのにねぇ。

2010/03/09

気分がのったので少し資料チェックしてから、chroot環境やら
WebDavやら調べて帰ろうかなと思ったら、思いがけず雪です
ちょっと予想外

明日は晴れたらいいな

2010/03/07

DragonAge: Origins

こんばんは。
先日ダウンロード版を購入したMac版の DragonAge: Origins ですが、偏頭痛にへこたれずとりあえずインストールして少しだけプレイしてみました。

 ゲームの内容的には、オリジナルルールではあるのですが、D&D的という感じです。まぁ、開発がBioWare(Baulder'sGateの開発元)なのでさもありなんという感じです。グラフィックは所謂アニメ調じゃなくて自分的には好感が持てます。進行は会話に結構な重点が置かれています。読み書きはともかく、英語の聞き取りがそれほど得意でもない私がプレイしていても、それほど抵抗はない感じです。ただ、字幕が出るのは会話中の最後のセンテンスだけなので、明確に英語の聞き取りが苦手という方は楽しめないかもしれません。ある意味聞き取りの訓練にもなるかとは思いますが。
 人間のローグでやってるんですが、辺境の領主の息子みたいな設定で、ストーリーに従ってチュートリアル的に簡単なクエストをこなしているうちに、あれよあれよという間に…親しい人々が死んで行きます…。
 自分本人だったらここでぐれて旅に出るところなのですが、主人公は父を失いながらも、暗い時代に立ち向かうべく修行の旅に出るわけです。

 今日は偏頭痛が酷いので、修行の旅の冒頭、GreyWardenという戦士集団への入団試験を…プレイしているあたりで終わっておきました。

 ストーリーが濃いので気軽に楽しむという系統ではありませんが、インタラクティブな映画を見ているくらいの感じです。

2010/02/22

グインサーガ

 比較的幼い頃から外国文学と親しみ、特に現代に属する日本語作品にはあまり親しまなかったのですが、そんな中でも、唯一長々と読み続けていたのは栗本薫のグインサーガでした。それほど熱狂的なファンでもなかったし、正直なところ作者と作品の持つ独特の悪ノリ感はあまり好きでもありませんでしたが、そのこと以外では十分に満足するべき作品でしたし、少なくとも一年間に数百円〜数千円程度の出費で楽しむには十分すぎるほどに優れた作品でした。
 そう。何故今まで語らなかったのかは自分の中でも不分明ですが、もしかして「でした」という表現を使うことに苦しさを感じたからかもしれません。文庫本で130巻。ペリーローダンシリーズのように複数の作者によって書かれた作品であればともかく、単一の著者によって書かれた小説としては最長か、或いはそれに類する長さではないでしょうか。ギネスブックは「単一の書籍」ではないという理由で認定はしていませんが。
 思えばグインサーガを読み始めたのは、確か小学5年生の頃です。その頃の自分は、手頃なミステリーを読み尽くして、アジモフやハインラインのSF小説に夢中でしたし、そして、コナン(名探偵じゃないよ)や指輪物語にも夢中でしたから、グインサーガは現在進行形で楽しめるファンタジー小説としてはとびきりのものでした。
 中学生だった頃の印象は、その頃読んでいた、マキャフリーのパーンの竜騎士に近いSFとファンタジーの交錯する世界観だな、と感じていたものです。そして高校時代から大学時代を経て、自分なりに多忙な20〜30代を経て、今40歳という年齢に一歩近づいてみると、小学生の頃から現在まで絶えずに続いているものなんて、両手の指ほどしかなくて、その中の一つがグインサーガだったんだなと思うわけです。

 読んでいない人は知るべくもないでしょうが…グインサーガの中の出来事を思い出すと、いまさらながら、自分自身のそのときを一緒にページの中から引っ張り出す思いです。昔は良かったとか、思い出したくない、とかではなくて、ただ、痛みを感じるのです。後悔と呼べるほどの重みがあればまだましですが、どちらかというと羞恥心に属する感傷を、ね。



good midnight.

2010/02/19

境界領域

 境界領域には神話が自然発生します。どのような未開の土地にも、その土地の既知の領域と、未知の領域とのグラデーションを表す、一定の緩衝領域があり、それが境界領域としての機能を果たします。
 境界領域には場合によっては死の象徴である動物の骨や立ち枯れた大木などのイメージが付与されますが、これは逆説的には無生物の領域ではないということになります。本当の荒野・砂漠であれば、むしろ光景は死の象徴さえ伴わないでしょうから。死の象徴は、そのまま、それは生の象徴でもあるわけですが、実際には、その意味するところは、生命の領域の終焉ということろです。

 ところが、境界領域というのは実際に死に満ちているわけではありません。単に、未知の領域に近づくことで、観察者の文明が施す、人工的な空間、つまり、文明から離れているに過ぎません。野の獣が人間の目から隠れれば、そこに残るのは死骸だけでしょうし、文明の範疇にない文明人のもたらす破壊的な開発は、森林を伐採し、植物の死骸をその文明の周辺部に積み上げるという結果になります。
 ただし、残念ながら、ある文明の未知の領域が、必ずしも歴史的な未知の領域を表しているわけではありません。それは単にある文明と、もう一つの文明の、空間的・時間的乖離を示しているに過ぎません。こういった境界領域を緩衝として、複数の文明が共存出来る環境があることは、その世界の知的活動全体という抽象にとっては、絶滅や破滅を避けるための多様性をもたらすものといって良いでしょう。

 残念なことには、それは世界の全体という抽象的な知的集合を構えれば、ということであって、個々の文明の寿命や、まして、歴史の中で小さな個人の存在にとっては、殆どの場合には破滅の危険性を表すわけです。ですから、すべての文明も個人も、その危険性に抗うべく、常に拡大を目指して、新たなる光景、境界領域への浸食を続けざるを得ないわけです。ただ、文明を構成する全体が、投機的な開拓や冒険に傾くのは危険ですし、一個の文明は非常に巧妙に、それぞれの個性として、異なる個人の嗜好を育み、結果的にはその多様性によって、文明の維持と拡大の両方の可能性を模索することをその宿命としているのです。