2010/02/03

抽象化

 私はゲームが大好きです。電子的なものも、そうでないものも。他の人と競うという楽しさよりは、本などよりもずっと複雑に展開する一種の可能性のようなものにおもしろさを感じたものです。今、システム関係の仕事をしていて思うのは、ゲームとシステムには相似点が多いと言うことです。つまり、現実の何かを仮想的にシミュレートしてみるということです。
 勿論、現実そのものを再現することは困難なので、主に技術的な制約によって抽象化度は異なります。例えばシステムにおいては、より単純な家計簿ソフトでは、シンプルな仮想の財布或いは口座に対する入出金を、主に数値として再現して見せています。また、将棋や囲碁などのクラシックなゲームでも、人や隊列といったものを、抽象的なコマという手段を用いて再現することで、仮想的な戦場を通して、戦術・戦略といった要素を再現し、その可能性を探る仮定を通してゲームにしあげています。
 抽象化度を技術という側面だけで見ると、使用する技術の高度さは、抽象化度と反比例するかのような関係が見られます。これは特にゲームにおいて顕著に見られます。クラシックな形のゲームは、やがて高度な音と映像、そして立体や物理法則も含めた状況の再現によって、高度なシミュレータとして楽しまれています。業務用のアプリケーションですら、方向性は異なるものの、より複雑で広範な情報を集積することで、より高度に状況や管理機能を達成しようとするアプローチは同じと言えます。

 では抽象化度を技術的な範囲が許す限り低く抑えることが、正しい進化の道のりでしょうか?私はそれは真であり、偽であると思います。なぜなら、抽象化を低く抑えて、より広範な情報を処理するようになることが正しいというのはまさしく真です。しかし、その操作性をそれにともなって複雑にすることが真かというと、必ずしもそうではありません。
 要は、情報精度の抽象化度を抑えつつ、インターフェースを可能な限り抽象化することのバランスがポイントだと思います。

 極度にリアルなゲームが、視野狭窄的になって、ゲームであることよりも「追体験」的な映画のような仕上がりになっているのは、私にはむしろ退化のように見えます。確かに、それは実現不可能な現実を体験するためのシミュレータではあるかもしれませんが、果たして、ゲームとしての完成度がどうかということについては一考の余地があるように思えます。

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