2010/02/11

 開拓という仕事は、誰かが既に成し遂げた発見の中から、より美しい宝石を探し出す作業です。時にはそれは泥の中にあり、先駆者が手を触れない割りの悪い作業に思えるものですし、しかも、事実、その仕事は成果によってしかあがなわれません。
 その意味では、開拓はフロンティアの発見より、地味な上に投機的な事業であることも確かです。それにも関わらず、開拓に携わった人々の多いことは瞠目するに値します。

 ところで、この川の静かなせせらぎはどうでしょう?川の水面が織りなす乱反射に目を奪われている少年は、この川の発見者ではありません。けれども、彼は彼の歴史の中で、紛れもない発見者であり、そして、彼はこの川の流域の開拓者となるでしょう。歴史というのは、そういう意味で個人の経験を覆すには至りません。けれども、この先、彼がもしも、先駆者のことを知る機会が来るとしたら、彼は絶望するよりも、むしろ、感激するに違いありません。なぜなら、彼の目に美しいと思ったものを、同じように美しく愛おしんだ人々がいたということに気づくからです。

 そして彼は成人してこの川に名前をつけました。「いにしえの流れ」と。
 でも、彼は「あること」を知らずに一生を終えました。
 彼が見いだした先駆者もまた、その更に前の先駆者のことを思い、川に「いにしえの流れ」を意味する名前をつけていたことを。

 ところで、豊かな湾から離れたこの川の水源は、夏まで冷たい氷をその頂にいだき続ける高い峰にありました。湾に住む人々は皆、その恩恵を真水という形で受けていましたが、彼らの生活の場所は天空から見下ろす鳥の目から見れば、ほんの小さな海沿いの一角から離れることはありませんでした。彼がこの川の源流を溯って、古くは文明のあった三角州のひろびろとした荒れ地にたどり着いたのは、それだけでも一種の冒険だったのです。
 この荒れ地は、幾度にもわたる洪水などで、土砂や岩石が積もり、先人たちの町の跡は隠されていたのです。

0 件のコメント: