2010/02/19

境界領域

 境界領域には神話が自然発生します。どのような未開の土地にも、その土地の既知の領域と、未知の領域とのグラデーションを表す、一定の緩衝領域があり、それが境界領域としての機能を果たします。
 境界領域には場合によっては死の象徴である動物の骨や立ち枯れた大木などのイメージが付与されますが、これは逆説的には無生物の領域ではないということになります。本当の荒野・砂漠であれば、むしろ光景は死の象徴さえ伴わないでしょうから。死の象徴は、そのまま、それは生の象徴でもあるわけですが、実際には、その意味するところは、生命の領域の終焉ということろです。

 ところが、境界領域というのは実際に死に満ちているわけではありません。単に、未知の領域に近づくことで、観察者の文明が施す、人工的な空間、つまり、文明から離れているに過ぎません。野の獣が人間の目から隠れれば、そこに残るのは死骸だけでしょうし、文明の範疇にない文明人のもたらす破壊的な開発は、森林を伐採し、植物の死骸をその文明の周辺部に積み上げるという結果になります。
 ただし、残念ながら、ある文明の未知の領域が、必ずしも歴史的な未知の領域を表しているわけではありません。それは単にある文明と、もう一つの文明の、空間的・時間的乖離を示しているに過ぎません。こういった境界領域を緩衝として、複数の文明が共存出来る環境があることは、その世界の知的活動全体という抽象にとっては、絶滅や破滅を避けるための多様性をもたらすものといって良いでしょう。

 残念なことには、それは世界の全体という抽象的な知的集合を構えれば、ということであって、個々の文明の寿命や、まして、歴史の中で小さな個人の存在にとっては、殆どの場合には破滅の危険性を表すわけです。ですから、すべての文明も個人も、その危険性に抗うべく、常に拡大を目指して、新たなる光景、境界領域への浸食を続けざるを得ないわけです。ただ、文明を構成する全体が、投機的な開拓や冒険に傾くのは危険ですし、一個の文明は非常に巧妙に、それぞれの個性として、異なる個人の嗜好を育み、結果的にはその多様性によって、文明の維持と拡大の両方の可能性を模索することをその宿命としているのです。

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